子供の頃、本を読むのが好きだった。家にある本はかたっぱしから読みあさった。かわりに運動は大嫌い。
小学生で『ノルウェーの森』を読もうとして挫折(読めたら怖いな)。『我輩は猫である』も挫折。それでも本を読むのは好きだった。
さて今はどうか。考えてみると集中して本を読むことが無い。
本を読んでいると携帯(iPhone)が鳴る。友人からのチャットだ。返信..チャットを続けていると本から離れてしまう。
Photo: Roger Belvea’s My Sparcline set by Jax D
携帯が鳴る。メール。通知画面に内容が少し表示されるので、本体を手に取らなくても何が来たか分かってる。でもこの瞬間、確実に意識は本から携帯に移っている。
本を読んでいると、本の内容で「妄想」が膨らんでくることがある。妄想が気になってしまって携帯で調べ物をしてしまう。
思うに、今の携帯は「情報端末」として何でも出来過ぎてしまう。出来すぎるがゆえに、かつ手元にあるがために簡単に手にとってしまう。
何でもできることはいいこと。手軽に持ち運びができるのはいいこと。自分もそんな携帯が大好きだ。
ただふと立ち止まってなにかを考えようとした時、手元にある携帯は邪魔だ。本道から脇道へ思考を引っ張り込む悪魔だ。
思考と読書の間、携帯は機内モードにしてしまおうかと考える今日この頃。
※機内モード … 通信を一切受け付けない状態
お前の意思が弱いだけだろうと言われたら元も子もないんだけど、それでもこの天使/悪魔との付き合いはよく考えないと危ない。くわばらくわばら。